昭和45年8月23日 特別奉修委員                  明渡 孝




 ・・・に関わることのすべてが、お取次ぎを頂いてお願いをしよります。または、御祈念をさしてもらう時に、その事を願う、繰り返し願う。願って安心が行くところまで願うということが、私はおかげだと思うですね。結果が願った通りになるということじゃないです。それで安心ができるということが信心の私はありがたさだと思いますですね。ですから、神様はそこんところにですね、「はあこのようにまで働き下さってあるのだから、右左なんかは問題じゃないな」といったようなものが生まれて来るんですよね。
 今の、今朝、ちょうど四時の御祈念の時間に、ちょうど目が覚めたから、床の上に座ってから御祈念さしてもらいよった、というて中村さんがお届けされますが、ちょうどそしたらね、頂かれることが「受け方、頂き方」と頂かれた。ね。ですから、このへんのところが、今私が申しますようなことじゃなかろうかと思うね。
 おかげを頂くということと同時に、その受け方ですね。その受け方がね、ただそこん時にはおかげがない、その繰り返しお願いをしておる、お取次ぎを頂いてお願いをすると生まれてくる安心ですね、そういう安心を受けるような受け方なんです。
 昨日私、四時の御祈念にちょうどお参りしてみえておった方を、そこまでお送りして、ちょうど二・三分遅れましたから、そんなわけで、四時の御祈念。そしたら向こうのほうから、誰かが小走りしてきよりなさりますもん。そしたら羽田野さんですか。あら、あなた今朝から参ってきちゃったの、今朝から参っちゃなかったばいの、と思うてから、思いました。
 そしたら、今朝も参ってきとった。実はこうこう、親戚の横浜でしたかね、ご親戚の、だいたい生長の家をたいへん熱心になさる方ですけれども。たいへん具合が悪くてから、「あなたの参っとるところへお願いをしてくれ」ということだったらしいです。
 それでまあ、洗濯物やらせなったけど、もうその行ってから、それこそ走って参って来ておられるわけですたい。けれども、「ほんとおかげだな、私がきちっと今日四時にしとったら、あんた間に合わんとこじゃったのう」ちゅうて今日、その結果が問題じゃないですよ。受けて下さっておった。待っておって下さった。氏子の願いを聞き届けて下さるという働きがそこに見えるでしょうが。
 そのことがね、私は、信心さして頂く者は素晴らしく。そこんところになら、「はあ、おかげ頂いた」という受け方ができるわけです。羽田野さんとしては。これから先はまた頂き方。これはおかげなんだ。そういうような、信心は実にデリケートというか、微妙なことなんですけれども。
 野口さんがお父さんと二人でお参りをして言われるように、だいたい今度の大祭に玉串になっておられたんです。そら、仕事の方がたいへん忙しくてと言うて、だいたいそのくらい、他の方達はみんな分かってる。( ? )のところがまだね、玉串がどういう意味か分からんわけですよ。
 それでまあ、そんなら変わりに私は、娘婿の富永さん、ばってんどげなふうじゃか、お休みできんじゃかと言うたら、そっちはあんた、仕事が仕事だからできん、と言われるんです。はあ仕様なかのうと言うて、他の方に上げて頂いたんですけれどね。
 そしたら、昨日、その翌日になりますかね。この頃から、目が非常に視力が衰えてから、このまま行くなら目が見えんごとなるかも分からんちゅうぐらいに悪かったんです。それでお父さんと二人でお願いにみえてから、私があの時何とかと言いましたですね。もうおかげ頂く。心配いらんちゅう御理解でしたもんね。
 それでもやっぱ信心が、お母さん達がもんですから、それでもやっぱ眼科に通うておられるわけです。そしておかげを頂いたことになっとる。なるほど、やっぱ医者が診たけんで、ちいう思いもしなさったと思いますたい。けれども、いかに医者論じゃなかかちゅうことが分かるでしょうが。
 さあ、玉串のそれを頂かずに、明くる日からまた元のごとなった。ね。けれども私は、またおかげ頂く、ち今日言うわけですたい。ね。しかし、俺は恥ずかしいしてから、参らんてなった、無理矢理。その恥ずかしいと思う心が純だと。今度の(    ?    )だからおかげ頂くよ、と私は言うた。
 だからここんにきね、もうほんとに医者やらでかかると、私はいかんちゃ言わんばってんね、もう医者にはばっかという思い方、いわゆるそういう受け方をするわけです。そして、神様のおかげは、希薄な薄うなってくるです。
 けれどもなら、今度の玉串のご無礼をしたことから、ストッと明くる日から悪うなるちゅうことで、これは医者じゃなかったな、いうならば神様のおかげじゃったなぁと、そういうふうに受けたらです、絶対おかげが今度は頂くことになってくる、そういう頂き方ができる。
 だからですね、医者はもう半分、神様も半分ちゅうごたる、絶対そげなこっちゃなか。神様のおかげを頂かなければできることじゃないということをね、私は思わにゃいかんと。
 あの吉富さんの細か息子のほうが、体からこれなんか、(   ?   )なんかこう、汁の出るのがいっぱいできて、大祭にきれいにおかげ頂いておった。そしたらまた明くる日悪かったから、二十一日が(おがし?)の共励会ですから、あそこにまいりましたら、皆からいろいろ悪う言われてから、ところがあちらの秋永先生の奥さんがですね、もうこげんとは薬も着けなち消毒してやってからね、薬着けたらかえって悪くなった。
 それからそら皆もう、みなさんには悪かばってん、もうお薬も頂いてきとったけれど、それはもう忘れたことにしてね、取ってしもうてから、かえってお神酒をさして頂いたら、こげんおかげを頂いております、というて今日はお礼にみえた。お神酒さんですね。
 ですからね、私は、ほんと信心さして頂く者は、ここへんのところね、スッキリ頂けれる、いわゆる受け方頂き方をですね、ほんとに稽古をしなければいけないと思いますですね。どうぞ。